「2020年おすすめの手帳!」に弱い私
暑い夏が終わり、台風とともにやってくるのが翌年の手帳戦線。
この時期、書店に行くと一角は翌年1月はじまりの手帳がずらっと並ぶ。
私は、正直言って手帳は使っていない。
使っていないというより使いこなせない。
使いこなせないくせに毎年この時期になると一冊は購入する。
「来年は使い続けるぞ!」と毎年思うのだがやはり、途中で挫折する。
毎年懲りずに買ってしまうのは、電車の中で隣に座った人がおもむろに開く手帳をみて心がうずいてしまうせいもあるだろう。
その手帳にはびっしりと文字が書き込まれ、赤線やらマーカーやら付箋が貼ってある。
しかも、どのページも小さな文字でびっしり書き込まれている。
まとまっているかどうかは別として、そこまで使いこなしているそんな姿に文具マニアでもある私は、すっかり見入ってしまうのである。
恋にも似た気持ちかもしれない。
毎年途中挫折する私ではあるが、毎年ただただ何も対策をせずに買い足しているわけではない。
「〇〇のノート術」だとか「〇〇手帳活用〇〇」みたいなHow To本を読み漁ってどうにかあの字がびっしりと埋め込まれた手帳を作り出せないかと、それこそ毎年研究をして新しい手帳を買っては試してみて、そして挫折をする。
そんな試行錯誤(人には単に学習しないサイクルを繰り替えしているように映っているだろう)を行っているのだ。
とはいえ、今の時代わざわざ何千円もかけて手帳を買わなくても、スマホのメモ機能や手元のノートPCに必要な事をメモする方がはるかに手っ取り早いし、きれいにまとまる。
実際、私もPCやスマホで連携できるメモアプリを使ってメモを取ることが多い。
多いというよりそれしかしていない。
「それなら、手帳は不要だろう」とは自分でもおもうのだが、たまにふとした時、机の上にある紙の裏にさらさらっと書いたメモが後になるとかなり重要でそこにいろいろ書き足していく事で考えが深まったり、不要な紙のはずが捨てられないくらい大事な「記録」に変わってしまうことが多々あるわけです。
また、文字を手で書くという行為自体も人として自然な行為の中で心身共に気持ちいい感じもするのです。
やはりこうなると、手帳が欲しくなるわけで、こうしてブログを書いている最中にもこの後、手帳を買いに行こうと思っている次第です。
これは、私の反省とこれまでの失敗から学んだことを含め、備忘録的に書き出します。
手帳を含め新しいものを買ったときにあるルールに則って記述するとか、きれいに段落や見出しを付けたり色分けして「綺麗な」ノートを作ろうとするから続かないのだと思う。
感性の赴くままに書きなぐって、書き足して、ぐちゃぐちゃと色を付けて強調して、最後のまとまった事だけを別のノートやPCに清書すればいいのではないか?
多分、裏紙にささっと書いているメモはこんな感じで進めているので、同じように進めればいいのではないか?
きっと世の中の人はとっくに気が付いていて実践していることだと思うが、私の2020年手帳戦略はこれをベースに進めてみようと思う。